vol.51 心に響く宗道臣の言葉

2017/06/01

アメリカのカリフォルニア州サンマテオで開催される、少林寺拳法世界大会が近づいてきました。

四年に一度の世界大会ですが、競技に参加しなくとも、大会後の国際講習会や特別昇格考試などさまざまな目的を持ち、各国から拳士が参集します。

少林寺拳法の集まりは、それぞれの国の違いもなく仲間が集まることを楽しむ風土があります。合掌礼一つで瞬時に人との距離が縮まり、再会を喜び、新しい出会いを楽しむ、そんな雰囲気です。

好きなことに打ち込む時間や、国を超えた仲間との楽しい交流。当たり前だと思っているこの環境も、平和だからこそ味わえる貴重な瞬間なのだとしみじみと思ってしまう昨今のアジア情勢です。

かつて、インドネシアのバリで世界大会が開催される一週間前に、開催地でテロが起こったことがありました。開催を決行するか中止するか、現地とやり取りしながら眠れず胃の痛む数日間を過ごしたことがありました。

世界から人が集まるイベントが狙われるということで、結局、泣く泣く世界大会中止を決定し、インドネシアオープンとしての大会開催となりました。開催期間中も参加者が夕方無事にホテルに戻ってくるのを確認するたびにホッとし、ふだんの生活にはない緊張感だったことを思い出します。

戦争を、テレビの画面を通して見ることが日常の戦争未体験の現代人には、今の北朝鮮とアメリカ、そして韓国と日本の置かれている状況を、どれだけシリアスにイメージできるか、大きく分かれるのではないでしょうか。いきなり核弾頭搭載のミサイルもあれば、化学兵器テロやサイバーテロと、かつての時代には考えられなかったあらゆる攻撃手段の存在する昨今です。

これらを未然に防ぐ方法は、どう考えても新兵器や法律改正ではなく、外交手腕しかないように思います。

ここのところの国の動きを見ていると、特別な人たちは何をしても調べられることもなく、説明しないことも許されるという、おかしな常識が闊歩しています。一般人は特定秘密保護法で情報もシャットアウトされ、知る権利も奪われています。おまけに、多くの人の集まる場や少数の集まりでも、常に監視の対象となる可能性のある「組織的犯罪処罰法改正案」(「テロ等準備罪」法案)が衆議院で強行採決され、参議院で審議されています。テロ対策を口実に、これがなければオリンピックも開けないと、オリンピックの政治利用と思われても仕方のない強弁が出る始末。戦後72年たって、日本はどうなってしまったのでしょう。

犯罪防止として街中に設置されている監視カメラ。確かに事件発覚後、犯人の特定には大きく役立っています。しかし、自宅への出入りも、いつどこの交差点で、どこの高速道路で、誰と……法律を盾に、プライバシーも関係なくチェックされるのでしょうか。おまけに、“共謀罪”を理由に密告や盗聴も公に行われ、罪も増えてくるかもしれません。昨年導入されたマイナンバー制度によって、私たち国民はすべてを管理され、便利に生活するにはマイナンバーカードを持つしかない社会でもあります。しかし今の日本は、社会保障制度が確立し向上する成熟した社会ではなく、実際75歳まで納税者でなければ国家財政は維持できないといわれ、年金受給年齢の引き上げなど年齢とともにどんどん不安が募る状態です。そんな状況の中、大学生もそこまで親のすねをかじることのできないことから、部活動どころではなくアルバイトに奔走している例も珍しくありません。

こうやって考えると、国としての成熟でも国民の生活の向上のためでもなく、国にとって都合がよく、特別な人たちだけが恩恵を受ける制度のようにしか思えません。

天皇陛下の退位を巡る問題でも、その検討委員会のメンバーから「天皇は祈っているだけでよい」との発言がなされたとの報道には驚きました。ご高齢の天皇皇后両陛下が過去の戦争への深い反省と平和への願いを込めて、各地を巡りご発言もされています。被災地に出向かれ、床に膝をつかれ、お見舞いされる姿。そして、「常に国民と寄り添い……」というお言葉をたびたび使われ行動されるその生き方と、今の政府のあり様に大きなギャップを感じているのは私だけではないでしょう。真摯に国民と向き合う姿勢を求めたいものです。

「人、人、人、すべては人の質にある。法律も軍事も政治のあり方も、イデオロギーや宗教の違いや国の方針だけでなく、その立場に立つ人の人格や考え方の如何によって大変な差の出ることを発見した」

今、少林寺拳法創始者・宗道臣の、「開創の動機と目的」の中で述べられているこの言葉がとても心に響きます。