vol.52 少林寺拳法は「人間力」を養う教育に力を入れたい

2017/07/10

スポーツに関わるさまざまな分野で、 ドーピングやパワハラなど問題は後を絶ちません。勝利至上主義が生み出す功罪の罪の中には、教育によって方向性を修正できるものがあるのではないでしょうか。

勝つためには自分の身体さえ犠牲にする、もしかすると精神もそうかもしれません。

一般社団法人スポーツ・コンプライアンス教育振興機構(通称:SPORTSCOMPLIANCE)という団体が発足しました。この団体はスポーツ界のコンプライアンスの強化を図るため、コンプライアンス教育の充実を図り、より健全なスポーツの普及・振興に資することを目的として活動します。私もこの団体の活動に賛同し、関わりながら勉強していきたいと思っています。

少林寺拳法は社会に役立つリーダーを育てることを目的としており、その基地たる道場の中においての指導者のコンプライアンス意識を高めなければなりません。

「自分たちのころは当たり前だった」「指導上の行きすぎ」という言葉もよく使われます。かつてはまかり通った方法がいいかどうかは別にして、その目的と方法は時代とともに激変したといわざるをえません。現代社会においては職場での注意もパワハラとみなされたり、常に言葉遣いに気をつけなければセクハラとなったり、難しい時代でもあります。対象となる人間の育つ環境が変わっているので、仕方のないことでもあるのでしょうけれど、「異質なものや異論を唱える人を許せず、排除しなければ気がすまない」という人が増えているのは、政治の世界を見てもわかります。

人間は、大人になると表情や言葉遣いなど、その場によって使い分けることができます。子供のころからだだをこね、大騒ぎして自己主張をすれば、自分の思いどおりになると学習してしまった人。またその逆に、子供のころに度を超えた厳しさの中で自分の感情を封じ込めることで、親にとっての「いい子」を演じ続けたまま大人になってしまった人。これらの場合、感情的に自分をコントロールできなくなったときに、大人であるがゆえに場所を選んで暴発したり、地位や権力など力を得たときに「自分を認めないもの」に対し異常な攻撃姿勢に転じるという傾向があるように思います。

今回話題となった豊田真由子衆議院議員の暴言・暴行騒動やその後の入院も、議員である前に人として失格はもちろんのことですが、先ほど述べたような大人になる過程に何らかの要因があったとすれば、学校の成績だけではない、「人間力」を養う教育が今急務と感じます。

少林寺拳法では「 拳禅一如」「力愛不二」という教えを大切にしています。前者はその字のとおり、身体だけではなく精神も共に養うことで、人ととしてのバランスのとれた成長ができるということです。そして後者は、力を伴わない愛(正義)は無力だけれど、愛を伴わない力は暴力であるということです。

ここ数年、中学校における武道必修化が進められています。しかし、人間力を養う教育は「三つ子の魂百まで」といわれる3歳までの家庭教育と、その後の第三者が関わる義務教育の間の連携が必要です。いきなり中学からではなく、地域とのコラボレーションによって、もっとトータル的に考えられるべきだと思います。

そして、少林寺拳法は今後一層「人間力」を養う教育に改めて力を入れたいと考えます。